魚料理・鯨 |
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魚料理と鯨の問題 |
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こちら、内地に来てから35年以上になるが、友人などと 食事をするたびに、 「きれいに食べるねえ。」 と言われることが多かった。 魚の食べ方だ。 |
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「函館の人間は、魚を食べ散らかしてはいけない!」 と、特別に教えられたわけではないのだが、 魚を食べる時は、 「食べられるところは全部食べる。」 というのが鉄則だ。 |
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食べた後に残るものは、お頭部分と骨と尻尾。 煮付けた魚にしても、焼いた魚にしても、 「食べられるところは全部食べる。」 のが当然だった。 眼の玉も、当然しゃぶって食べる。 活きがいいという条件つきだが。 |
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「函館の出身者は、魚をそのように食べるのが 当然である。」 という自負のようなものがあるんだ。 そんな魚の食べ方を教えてくれたのは、 「父」や「母」だった。 父が特に、そういう食べ方をしていたように 記憶している。 昭和の団塊の世代をはぐくんでいた「時代」も、 関係あるのかも知れない。 ものを無駄にしない、ものを粗末にしない時代を 生きていたのだ。 それと、大きく気づいたことなのだが、このように 魚を食べることができるようになった一番の理由は、 魚介類が新鮮だったということに関係があると思う。 「函館」は、そういう町だったのだ。 |
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ただ、この頃、力量が落ちてきたナ。 その理由は、いくつかある…。 函館を出てから35年以上もたつこともある。 私は、ずっとずっと昔に覚えた「魚の食べ方」の流儀を、 ずっと一人で守り通してきたわけだが、 人間というものは、新たな「学び」をしていかなければ いけないんだ。 |
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「この魚はね、こうやって食べるのが美味いんですよ。」 とか、 「この魚は、ここをぜひ食べるべきなんですよ。」 といった新たな知識を、身につけなくちゃあダメなんだと思う。 こういった面が、今の私には、不足してきている。 そのようなことを教えてくれる「人」や「場所」を探していく ことが、大事なんだろうなあ。 そういう「こだわり」を持った地域、観光地、店、人をさがし ていきたいものだ。 |
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そんなところはないものかと、「魚料理」で検索をしていたら、 いいところを見つけた。 まず、「お魚料理大全」というサイト。 何とすごい、魚料理が、1488件も載っている。 これは、 JF-NET 海と魚と人の総合ホームページ
というサイトの中のコンテンツ。 |
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「お魚料理大全」の中のコンテンツもいい。 「浜の四季」というコンテンツを開いたら、うれしいものが出てきたネ! 「牡鹿半島のクロカスベ」!! にしろ、私は、カスベが大好物なのだ。 |
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「ぼくは漁師料理の取材で全国の浜を四六時中ほっつき歩いています。」 という、「水産ジャーナリストの会会員」の野村祐三さんの取材報告。 その中に、民宿「後山荘」というのが出てくる。 知床のウトロの「いるかホテル」 (地図はこちら)でも、美味いカスベの 煮つけが出てきたが、ここでも、獲れたてのカスベが食べられるらしい! |
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「 遊佐さんは漁業のかたわら『後山荘』という民宿を営み、四季を通じて全国の魚好きを集めています。 この日の夕食には、マアジの造りやイナダ、トビウオ、ウニの刺身などが食卓狭しと並び、食いしん坊 の舌を大いに満足させてくれました。」 (「牡鹿半島のクロカスベ」より) |
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宮城県の牡鹿半島か。 民宿「「後山荘」 (地図はこちら)だな。 ご主人の名前は、遊佐さんとおっしゃるわけだ。 牡鹿半島の「後山荘」、ぜひ行ってみたいものだ。 一つ、楽しみができた! できたら、ホヤのさばき方も、教えてもらえればと思う。 |
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話はどんどんそれるのだが、牡鹿半島の「後山荘」と鮎川は、 どのくらい離れているのだろうと、「ちず丸」で調べてみた。 「後山荘」から鮎川までは、距離にして4kmくらいだろうか。 調べているうちに、 Whale Town Oshika(石巻市牡鹿稲井商工会のページ) というサイトが出てきた。 鮎川にある商工会のホームページらしい。 そこの「牡鹿のイベント」というところに、毎年8月初旬に 、鮎川浜、鮎川港周辺で、 「牡鹿くじら祭り 」が盛大に開催されると出ていた。 鮎川湾内での、キャッチャーボートによる実砲実演やパレード、納涼花火大会など、 いろいろなイベントが行われるようだ。 行けるのなら、この時期をねらいたいものだ。 |
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さらに、牡鹿半島を「ちず丸」で調べていくうちに、 鮎川から見て南西に浮かぶ島「網地島(あじしま)」が出てきた。 (地図はこちら) いや、どこをどうめぐっているうちに、「網地島(あじしま)」に行き着いたのか は、定かではない。 「アミジシマ(網地島)?」 などとやっているうちに、「アジシマ(網地島)」に行ったのかも知れない。 いずれにしても、行ってよかったのだ! 「網地島研究所」というサイトを見つけたからである。 |
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「網地島研究所」は、網地島の自然・歴史・文化の調査研究や取材等の活動を メインに続けながら、網地島の様々な情報をインターネットで発信してきてい るサイトだ。 平成12年から続いている。 網地島の広報活動もやり、現地ガイド、体験学習などの企画やサポートなども 実施している「網地島の総合案内所」のような役割を果たしている感じか。 管理人は、「さいど〜」さん。 島の活性化とご自身の「生き残り」をテーマに、網地島研究が続いている。 「網地島研究所」紹介の項に、 『この(=サイトの)中のほんの一部でも網地島の将来と皆様の何らかの手助け になれば幸いと思っています。あなたの興味にあった内容でHPの網地島へ 気軽に上陸してください。』 という記述があるのだが、このサイトを訪問してみて気づくのだが、まさに、 「HPの網地島」へ上陸した、という感じなのだ。 さらに、このサイトのコンテンツをじっくり見ていくと網地島そのもの(島の様子、 暮らしぶり、歴史等々)がたいへんよく分かってきて、いっぱし網地島に居るよう な気になってくるのである。 遠くの地にありながら、現地を歩いている感じになってくるから不思議だ。 180項目にわたる「網地島人度 OR マニアック度チェック!」という のがある。 これがまた、面白い! とうてい網地島の人たちにはかなわないだろうが、このHPをじっくり見て いくだけで、かなりの網地島通になれそうである。 ただし、管理人の「さいど〜」さんも書いているが、なにせ「マニアック度」 なだけあり、点数が高いから「良い」ということには、ならない。 私あたりは、「もう網地島通です」よりは、「危険な領域に近づいています」 になっていきそうである。 HPは、これからも、どんどん訪問させていただくつもり。 しかし、それだけでなく、本当の網地島にも、いつか、ぜひ出かけていきたい と思う。 |
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話を元に戻す! 「水産ジャーナリストの会」というのは、どういう会なのだろうと思って 検索してみたら、またまた出てきた。 「News海の幸」(No42. 2003年 2月号) 「T.水産主要団体トップ「2003年の抱負」 水産主要団体のトップは新年の仕事始め早々からプレスとの年頭会見を 行いました。このうち大日本水産会の佐野会長をはじめ4団体のトップの 会見要旨は以下のとおりです。 ●業界のビジネスに密着した事業の展開 ― 大日本水産会 佐野宏哉会長 ●資源の早期回復と漁業合併 ―JF全国漁業協同組合連合会 植村正治会長 ●便宜置籍船の廃絶とマグロの船上加工 -日本鰹鮪漁業協同組合連合会 上田大和会長 ●次期南氷洋調査計画に取り組む ― 日本鯨類研究所 大隅清治理事長 U.ロックフェラー財団などから年間6,000万ドル ― 環境運動について米水産協・副会長語る」 等々。 「日本捕鯨協会 - ニュース 」(2007年(平成19年)6月25日(月) 日刊みなと新聞 ) 「IWC発言の真意説明 水産ジャーナリストの会 中前次長が講演」 なんていうのまで出てきた。 |
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不思議なものだ。 最近、捕鯨問題について調べ始めているのだが、ひょんなところから、 そこに、つながりのあるところが出てきた。 これは、面白くなりそうだ。 |
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私は、「鯨」に関しては、素人だ。 はじめ、 (「商業捕鯨」ができなくなったというのに、どうして「鯨料理」が、今でも出てくるんだ?) なんて、全くド素人な疑問を抱いていたものだ。 ただ、昔、普通に食べることができたものが、どうして手に入りずらくなって きたのかに関しては、気になってはいた。 クジラは、第二次大戦後、日本人にとって、大事なタンパク源になった。 昭和の30年代、私も、クジラの刺身を晩ごはんのおかずに食べていた。 昔、自分が普通に食べていた「鯨」のことを思い出すと、どうしても、クジラへの こだわりが出てくる。 |
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捕鯨問題を調べ始めて、いろいろなことが見えてきた。 「国際捕鯨委員会(IWC)」という組織に関して、いろいろな情報が 新聞、インターネット等を通して入ってくるのだが、どうもよく分からない。 「国債捕鯨委員会(IWC)」の現在の状態がどのようなものであるのか、 この辺の詳しい経緯に関しては、次のサイトが参考になりそうだ。 「正義の価値は」 このサイトやその他の鯨関連のサイトで、「捕鯨」「反捕鯨」の主張を 調べていくと、何だか、「変だな」という感じがしてくる。 |
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人間は、「命あるもの」を殺して、「食べる」ことをしなければ生きていくことができない という本質を忘れてはいけないんだと思う。 これは、『美味しんぼ』からの受け売りなのだが。 参照:『美味しんぼ塾ストーリーブログ』 |
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「国際捕鯨委員会(IWC)」は、「鯨類資源の適性な保存をはかり、捕鯨産業の秩序ある 発展を可能にすること」を目的に、作られた組織なのだそうだ。 (参考:クジラのことなら何でも分かる!「鯨ポータル・サイト」) ところが、「鯨類資源の適性な保存をはかる」とか「捕鯨産業の秩序ある発展」 を可能にするとかの議論ではなくて、「クジラは、人間の次に知能が高い動物 だから」とか、「クジラは、愛すべき動物だから」などといった議論が出されて、 捕鯨そのものを禁止していくことが主張されているのだという。 思うのだが、世界にいつか食糧危機のような問題が持ち上がった時(これは 決して非現実的なことではない)、そういう事態に耐えうる議論なのだろうかな。 英国生活を満喫するためのポータルサイト 「ニュースダイジェスト」 というイギリス発信のサイトを見つけた。 そのサイトの中に、「反哺鯨キャンペーンに力を注ぐ環境団体の人々」 へのインタビューが掲載されている。 冷静なインタビューを行っているので、大変参考になる。 「クジラを食べるな」その理由 (英国ニュースダイジェストのインタビュー特集) イギリスは「反捕鯨」を掲げる代表的な国の一つだが、その国で、冷静に捕鯨 問題を取り上げ、問題を掘り下げていこうとしているあたり、大したものだ。 「国際捕鯨委員会(IWC)」あたりも、このサイトくらいに、冷静で、科学的な論議が できる場になっていってほしいものだと思う。 |
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捕鯨の歴史を調べてみた。 12世紀 日本で手銛による捕鯨が始まる 1606 太地で「鯨組」による組織的な捕鯨が始まる 1612 千葉県でツチ鯨の手銛漁が始まる 1675 太地で網取り式捕鯨が始まり、それにより捕鯨が急速に普及する 1712 米国でマッコウ鯨漁(アメリカ式捕鯨)が開幕 1838 鮎川で組織的な網取り式捕鯨が始まる (日本捕鯨協会 -「捕鯨の歴史-捕鯨史年表」 より) |
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日本における捕鯨の歴史は、入り江に迷い込んだクジラを浜辺に追い込むなどの 形では、縄文時代までさかのぼることができるらしい。 積極的に舟で乗り出し、クジラを捕らえるようになったのは、12世紀(平安時代)あた りのようだ。 長い歴史の中で、日本人はクジラを食べる文化を創ってきたのである。 |
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日本の現在の小型捕鯨の基地、宮城県石巻市の鮎川や和歌山県の太地町 、 千葉県南房総市和田町等々、訪ねていく候補にあげたいと思う。 和田町などは、場合によっては、捕れた鯨の解体の様子も見ることが可能という。 (参照:「クジラと花の町 和田町商工会ホームページ」の「くじら情報」というコンテンツ) |
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今、「鯨」に関連して、さまざまな議論が百出している。 ことは、「食」にかかわることである。 「食べる」とはどういうことなのか、「生きる」とはどういうことなのか、 冷静に考えていくべきだ。 私は、これからいろいろなところに出かけて行って、日本の「食」の実情、 地域の抱えている問題等を、自分の目で見、調べていきたいと思っている。 (そのために、たぶん、外国にも、出かけていくことだろう。) |
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《追記》 2008年8月、宮城県石巻市、鮎川の「牡鹿鯨まつり」を見に行ってきた。 8月1日、福島県会津若松市で宿泊。 8月2日、山形県東根市で宿泊。 8月3日、宮城県石巻市、鮎川で取材。宿泊。 その後、栃木県那須塩原市で一泊して戻ってきた。 山形を午後に入り出発。車で走り続けて、宮城県石巻市へ。 「後山荘」の場所を確認してから、そのまま鮎川漁港をめざす。 |
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鮎川港での実包射撃を見終わって、本日宿泊の「後山荘」へ向かう。 鮎川から車で20分くらいあるだろうか。 後山荘に着いてから、鮎川港で行われる夜の花火大会がここから 見えますかとたずねたが、山二つは離れているので、ここからは見る ことができないとのこと。 困った。 それでは、夕食時に酒が飲めないではないか! 酒をあきらめて、花火をとるか、花火をあきらめて酒をとるか…。 「後山荘」の売りは、食事に新鮮な魚介類が山ほど出ることだ。 そんな料理を酒なしで食べるなど、ありえない…。 |
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結局、酒をあきらめて花火を見に行くことになったのだが、 鯨の刺身をはじめ、どんなに美味い刺身でも、ご飯でなど それほど食べれるものではない。 お酒があれば、時間をかけてゆっくり、たっぷり食べれるものを …。 刺身類も、その他の料理もたっぷり残して出かける結果になった。 後から思うに、ずいぶんともったいないことをしてしまったものだ。 |
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鮎川港での花火は、曇天のせいだろう、高く打ち上げられた花火が 雲の中でひらくため、はっきりと見えなかった。 見ている側としては、せっかくの花火がもったいないことだなあ、 と思ったが、打ち上げている側も、どんなにかがっかりしていた ことだろうと思う。 海面近くでひらく低い高さでの花火は、はっきり見えていたけどなあ。 |
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高く打ち上げられた花火は、こんな感じ。 いわゆる大輪が雲の中で、ボーっと光って見えるだけ。 |
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低めの打ち上げ花火は、それなりに形がはっきり見えている。 |
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せっかく、酒をがまんしてやって来たのになあ。 |
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*今回は、鮎川まで来ていながら、日程の関係で、「網地島」に寄ることが できなかった。 「後山荘」で、酒と共に料理を堪能するのと、網地島でシーカヤックと釣りを するのを、次回訪問の楽しみとしたい。 |
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