演劇・夕鶴

故郷・北海道の物語

演劇とミゼット先生と『夕鶴』

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   演劇とミゼット先生と『夕鶴』の物語




  国語が唯一、得意だった私は、光成中学校の

  演劇部に入部した。

  国語の先生だったミゼット先生と、

  木下順二作の『夕鶴』と、演劇部の仲間との

  最高の出会いがこの時期にあった。




       岩瀬省治「デジタル写真館」より。


1962年〜1965年(昭和37年〜昭和40年)、
光成中学校での3年間は、

私にとって、最も充実していた時代だった。




演劇部の顧問の先生は、二人。

男のM先生と、女の「ミゼット」先生。


M先生は、函館市内の演劇連盟のようなところの重鎮のような立場の先生。


「ミゼット」先生は、新卒ではなかったと思うが、若くて美人の、やる気バリバリの

先生で、「小回り」のきく「ダイハツミゼット」みたいということで、あだ名が
「ミゼット」

になった。



男のM先生は、市全体の演劇活動の指導でがんばっていて、「ミゼット」先生は、

光成中の演劇部の実質的指導者として、がんばっていたように思う。





当時は、学校でも、学校以外でも、演劇活動がかなり活発な時代だった。




光成中学校の演劇部は、かなりレベルの高い演劇クラブだったようだ。





光成中学校演劇クラブに、
双子の兄弟がいた。


この二人は、演技もすごかったが、頭も良かった。

私が一年生の時の上演は、菊池寛の『恩讐の彼方に』(青の洞門)だったが、

主役を演じたのがこの双子の兄弟で、私は、「農民1」のような役だった。



この双子の兄弟は、光成中でもかなりの有名人で、先生たちも生徒たちも

一目も二目も置く存在だった。


この二人が、
「対談集」を出していた。


今でも、光成中学校の図書室に残っているかも知れない。




学校の図書室に二人の対談集があるという情報を、国語の先生「昆ちゃん」から

聞いて、その対談集を読んでみた。

テーマは、覚えていないのだが、非常に魅力的な体裁、内容だった。



私は、まねて、自分も文章を綴ってみた。

夏休みの宿題対策だったろうか。

形をまねて文章を綴ってみたものの、まねることのできないレベルの二人だった。



私の文章に対する、「昆ちゃん」からの評価はどうだったかは覚えていないが、

私自身は、とてもたちうちできない、と悔しく思ったのを覚えている。



韓国系の人たちだったように覚えている。

二人の兄弟は、私が中学二年生になる時に、転校していった。




中2になって、演劇部の部長になった。

この年、「ミゼット」先生が出した提案は、木下順二の戯曲
『夕鶴』の上演だった。



『夕鶴』は、「鶴の恩返し」や「鶴女房」などの民話を題材に、木下順二が戯曲化した

作品で、名作中の名作!



『夕鶴』は、光成中学校演劇部の代表作品となっていく。



『夕鶴』の登場人物は、



「与ひょう」 …雪の田んぼのあぜ道で、矢を打たれて弱っている鶴をやさしく
        介抱。純真無垢な男だが、惣ど、運ずにそそのかされて、物欲
        に目覚めていく。
   
 
「つ  う」 …「与ひょう」に助けられ、恩返しのために、与ひょうのもとに
        お嫁さんとしてやってくる。


「惣  ど」 …隣村に住むずるがしこい村人。金の亡者で、「鶴の千羽折り」
        を、つうが織るように、与ひょうをそそのかす。


「運  ず」 …隣村に住む村人。惣どの言いなりなるところがあるが、人の
        良い一面もある。

「子どもたち」…「与ひょう」や「つう」と遊ぶのを楽しみにしてやってくる。



この『夕鶴』の上演時間は、

どのくらいだったろうか。

最低でも40分はかかったと思う。



それを、子どもたちとの場面を除いて、

上の4人だけで演じていくわけだから

セリフが、はんぱじゃなかった。


つう   与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの?あんたはだんだんに変って行く。
     何だか分からないけれど、あたしとは別な世界の人になって行ってしまう。あの、わたしには
     言葉も分からない人たち、いつかあたしを矢で射たような、あの恐ろしい人たちとおんなじに
     なって行ってしまう。 どうしたの?あんたは。 どうすればいいの?あたしは。
     あたしは一体どうすればいいの?
     …あんたはあたしの命を助けてくれた。何のむくいも望まないで、ただあたしをかわいそうに
     思って矢を抜いてくれた。それがほんとうに嬉しかったから、 あたしはあんたのところに来た
     のよ。
     そしてあの布を織ってあげたら、あんたは子供のように喜んでくれた。 だからあたしは、
     苦しいのを我慢して何枚も何枚も織ってあげたのよ。
     それをあんたは、そのたびに「おかね」っていうものと取り替えて来たのね。
     それでもいいの、あたしは。あんたが「おかね」が好きなのなら。
     だから、その好きな「おかね」がもうたくさんあるのだから、あとはあんたと二人きりで、
     この小さなうちの中で静かに暮らしたいのよ。あんたはほかの人とは違う人。あたしの世界の人。
     だからこの広い野原のまん中で、そっと二人だけの世界を作って、畠を耕したり子供たちと
     遊んだりしながらいつまでも生きて行くつもりだったのに… 
     だのに何だか、あんたはあたしから離れて行く。だんだん遠くなっていく。
     どうしたらいいの?…ほんとにあたしはどうしたらいいの? …

     (新潮文庫『夕鶴・彦市ばなし』木下順二 著、P136〜137より)


        
上は、「つう」の独白のシーンのセリフなのだが、この長さ!

こんな長さのセリフが「つう」には、いくつも出てくる。


こんな長いセリフを、中学2年生(3年生)の少女が演じきって

いくのだから、すごかったろうと思う。



人間の「つう」でいて、どこか鳥のような気配をもっている「つう」

を出すために、「つう」役の彼女が、ずいぶん悩んでいたのを

覚えている。



ミゼット先生も、そんな彼女の成長を見守っていた。
   『夕鶴・彦一ばなし』(新潮文庫)



問題は、『夕鶴』の中の「与ひょう」と「つう」が抱き合うシーンを

どうするか、ということだった。



こんなシーンである。

 
与ひょう     うん、そら、つうと二人でいるのは好きだ。おらほんに
          つうが好きだ。

つ  う     そうよ。そうよ。そうよ。(与ひょうを抱きしめる)…だから、
         だからいつまでもこうしていて。離れないで。あたしから
         離れていってしまわないで。

与ひょう    ばか。誰がつうと分かれるもんか。ばか。ばか。ばか。

つ  う     …こうして、じっとあんたに抱かれていると…あの頃の
         ことを思い出すわ。…無心で、なんにも考えずに、あの
         広い空を…あの頃の気持ちになって来るわ。…
         (略)
   
         (新潮文庫『夕鶴・彦市ばなし』木下順二 著、P143より)




念入りに読み合わせをし、時間をかけてセリフを覚え、セリフを覚え

きった頃に、立ち稽古に入っていくのだが、そうなると、
ここのシーンを

どうするか
を決めなければならなくなる。



・このままやった方がいい。
・そりゃあ、無理だ。
・手を握り合うとか…。
・うーん。

部員たちで、かなり真剣に議論し合った。



ミゼット先生は、このシーンをどのように演じるか、結論は私たちに

任せていたようだ。



で、長い相談の結果、「抱き合う」のではなくなった。



今から思うと、私は「抱き合う」で良かったんだけど…。



「抱き合う」シーンは、
「膝枕をする」になった。


「与ひょう」が「つう」に膝枕をしてもらいながら、このシーンのセリフを

進めていく、ということになったのである。


(これでも、当時としては、センセーショナルなシーンであったことだろう。)



本当は、脚本の中身を変えることになるのだから、作者の木下 順二さん

には失礼なことなのだが、やむをえなかったろう。



《閑話休題》

なにせ、セリフが多いのである!

私は、「与ひょう」のセリフが中々覚えきれず、どんなにか部員に迷惑を

かけたか分からない。

ミゼット先生の前で、何度泣いたか分からない。

それほど、他の部員に比べて、セリフの覚えが悪かった。



《もとい!》

『夕鶴』の上演は、大好評を博す。

ストーリー自体もすばらしいのだが、光成中学校演劇部(ミゼット軍団!)

のがんばりがすごかった。



この後、光成中学校演劇部は、『夕鶴』の演技をさらに磨いていく

ことになる。



私は、お「つう」さんの膝のあたたかさを、今でも、なつかしく思い出す。


それと、「ミゼット先生」に、ぜひ、お会いしたいナ!

あの頃の仲間たちにも。




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