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     『仙台藩白老元陣屋の見学』




   箱館戦争の中に出てくる「千代ヶ岡陣屋」は、

   遺構が全くに近く残っていないため、「陣屋

   のイメージがつかめない。

   だから、「白老」では、「仙台藩白老元陣屋」を

   ぜひ見たいと思っていた。



   『北の大地・北海道、2007年・夏の旅』の8日目、

   8月14日(水)に夕張から、「白老」に向かった。





  白老を視察調査している仙台藩の蝦夷地御用掛・三好献物。
  この調査の報告により、幕府の承認を得て1856年から仙台藩
  による白老元陣屋を中心とした蝦夷地警備が始まる。
  (仙台藩白老元陣屋資料館より)



この夏の北海道は、暑かったナ。

クーラーなんて、北海道では必要ないものと思っていたけれど、

今年は、宿泊地にクーラーがないと、かなり厳しかった。


今回、泊まった宿泊地の半分は、山の中で、

「網戸の隙間から虫が入りますので、窓はお閉めください!」

なんて書いてあったので、特にキツかったね。



「仙台藩白老元陣屋」は、今からおよそ150年前、江戸時代末の安政3年、

1856年に、幕府の命により仙台藩によって造られている。

主な使命は、「南下政策をとるロシアから蝦夷地を守る」ことにあったようだ。

「蝦夷地」といっても、当時は、現在の北海道から国後択捉などの北方諸島

も含まれている。



北方警備を命じられた東北諸藩の中でも、仙台藩の守備範囲は、広大だ。

白老から襟裳岬を経て国後、択捉までの「東蝦夷地」

そのため、白老を「元陣屋」とし、広尾、厚岸、根室、国後、択捉に

「出張(でばり)陣屋」

を築いている。

出張陣屋には、40人前後の人々が駐屯したらしいが、厳しい生活だった

ろうなあ。
模型だが、陣屋のイメージは分かる。

練兵場などもあるわけか。

砦(とりで)、前線基地、といったイメージか。


     陣屋の面積は6.5ヘクタール。
      堀と土塁を円状・弧状に巡らして「内曲輪(うちくるわ)」と
      「外曲輪(そとくるわ)」でできている。
      こちらが、「内曲輪」の部分。中央奥に「本陣」、
      左下「穀蔵」、中央の建物「勘定所」。

     こちらが、「外曲輪」。中央の建物が「三番長屋」。
     建物は、「長屋」が主のようだ。あとは、練兵場。
       陣屋絵図。


この陣屋には、常時120名程の人々が駐屯して警備に当たっていたとのことだ。



「ロシアの脅威」に関して、あまり詳しく

知らなかった。

かなり前からあったんだね。




仙台藩は、幕末の1856年(安政3年)に

蝦夷地警護を命じれれているわけだけど、

それよりも50年近く前の1808年にも、

蝦夷地警護に当たらされていたことがわかる。

「仙台藩白老元陣屋資料館」では、貴重な資料をいっぱい見つけることができた。

(「撮影禁止」となかったので、資料になりそうなものをパチパチ撮ってしまった。)




それにしても、私も、かなりいい加減な人間のようで、資料館の中は、たっぷりと

見たものの、外の本物の陣屋跡の方には、足も向けずに帰ってきてしまった。

研究するという意味では、これでは、本末転倒というものだろう。

反省ものである。





しかし、陣屋跡を史跡としてしっかり保存している白老町は、たいしたものだと思う。

地域の歴史を大切にしていく姿勢の表われといっていいだろう。

函館生まれの人間として、うらやましく思う。

箱館戦争で激戦の場となった「千代ヶ岡陣屋」は、陣屋の位置すらはっきりしないのだから。



ホームページの中身を充実させたいため、あらためて、北海道の歴史について

調べ始めたわけだが、溜息が出てしまうくらい、北海道のことを知っていない

ことを痛感する。



「陣屋」に関しては、イメージがつかめたことはよかった。

しかし、調べれば調べるほど、次から次と、新しい疑問が出てくる。

「蝦夷地を巡る世界の動き」など調べ始めたら、かなりの時間がかかりそう。


「松前藩」のアイヌ政策に関しても、今、少しずつ調査中。


函館の発展に尽力した「高田屋嘉兵衛」に関しては、やっとスタートの段階だ。


「陣屋」「松前藩」「アイヌ民族」「高田屋嘉兵衛」というキーワードが、今、

やっと私の中に揃ったばかりだ。



まだまだ勉強をしていかないといけないんだ。



『シャクシャイン戦記』は、まだ「積んどく」ままになっているが、「アマゾン」から

届いた司馬遼太郎『菜の花の沖』(1〜6巻)。

今2巻目を読んでいる。

江戸時代後期を生きた「高田屋嘉兵衛」。その生涯を描いたこの小説を通して、

この当時のイメージを、まず確かなものにしていきたいと思っている。


『シャクシャイン戦記』を読むのは、その後だろうな。





アイヤー、酔っぱらってられんゾ、こりゃァ。どっとはらい!

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