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北海道の歴史☆陣屋 |
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この夏の北海道は、暑かったナ。 クーラーなんて、北海道では必要ないものと思っていたけれど、 今年は、宿泊地にクーラーがないと、かなり厳しかった。 今回、泊まった宿泊地の半分は、山の中で、 「網戸の隙間から虫が入りますので、窓はお閉めください!」 なんて書いてあったので、特にキツかったね。 「仙台藩白老元陣屋」は、今からおよそ150年前、江戸時代末の安政3年、 1856年に、幕府の命により仙台藩によって造られている。 主な使命は、「南下政策をとるロシアから蝦夷地を守る」ことにあったようだ。 「蝦夷地」といっても、当時は、現在の北海道から国後、択捉などの北方諸島 も含まれている。 北方警備を命じられた東北諸藩の中でも、仙台藩の守備範囲は、広大だ。 白老から襟裳岬を経て国後、択捉までの「東蝦夷地」。 そのため、白老を「元陣屋」とし、広尾、厚岸、根室、国後、択捉に 「出張(でばり)陣屋」 を築いている。 出張陣屋には、40人前後の人々が駐屯したらしいが、厳しい生活だった ろうなあ。 |
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模型だが、陣屋のイメージは分かる。 練兵場などもあるわけか。 砦(とりで)、前線基地、といったイメージか。 |
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この陣屋には、常時120名程の人々が駐屯して警備に当たっていたとのことだ。 |
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「ロシアの脅威」に関して、あまり詳しく 知らなかった。 かなり前からあったんだね。 仙台藩は、幕末の1856年(安政3年)に 蝦夷地警護を命じれれているわけだけど、 それよりも50年近く前の1808年にも、 蝦夷地警護に当たらされていたことがわかる。 |
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「「仙台藩白老元陣屋資料館」では、貴重な資料をいっぱい見つけることができた。 (「撮影禁止」となかったので、資料になりそうなものをパチパチ撮ってしまった。) |
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それにしても、私も、かなりいい加減な人間のようで、資料館の中は、たっぷりと 見たものの、外の本物の陣屋跡の方には、足も向けずに帰ってきてしまった。 研究するという意味では、これでは、本末転倒というものだろう。 反省ものである。 しかし、陣屋跡を史跡としてしっかり保存している白老町は、たいしたものだと思う。 地域の歴史を大切にしていく姿勢の表われといっていいだろう。 函館生まれの人間として、うらやましく思う。 箱館戦争で激戦の場となった「千代ヶ岡陣屋」は、陣屋の位置すらはっきりしないのだから。 |
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ホームページの中身を充実させたいため、あらためて、北海道の歴史について 調べ始めたわけだが、溜息が出てしまうくらい、北海道のことを知っていない ことを痛感する。 「陣屋」に関しては、イメージがつかめたことはよかった。 しかし、調べれば調べるほど、次から次と、新しい疑問が出てくる。 「蝦夷地を巡る世界の動き」など調べ始めたら、かなりの時間がかかりそう。 「松前藩」のアイヌ政策に関しても、今、少しずつ調査中。 函館の発展に尽力した「高田屋嘉兵衛」に関しては、やっとスタートの段階だ。 |
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「陣屋」「松前藩」「アイヌ民族」「高田屋嘉兵衛」というキーワードが、今、 やっと私の中に揃ったばかりだ。 まだまだ勉強をしていかないといけないんだ。 『シャクシャイン戦記』は、まだ「積んどく」ままになっているが、「アマゾン」から 届いた司馬遼太郎の『菜の花の沖』(1〜6巻)。 今2巻目を読んでいる。 江戸時代後期を生きた「高田屋嘉兵衛」。その生涯を描いたこの小説を通して、 この当時のイメージを、まず確かなものにしていきたいと思っている。 『シャクシャイン戦記』を読むのは、その後だろうな。 アイヤー、酔っぱらってられんゾ、こりゃァ。どっとはらい! |
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