青柳町・石川啄木 |
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石川啄木の住んでいた青柳町 |
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『石川啄木の住んでいた青柳町へ』 1958年(昭和33年)、かつて石川啄木が住んで いた青柳町に引っ越した。 学校は、青柳小学校へ転校。 3年生の一年間をこの町ですごした。 石川啄木が、短い期間だけれども、青柳町に住 んでいたなんていうのは、大人になってから分かっ たことである。 |
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青柳小学校の裏手には、函館公園があり、当時の私の遊び場だった。 映画で、『少年探偵団』がはやっていた頃で、 「ぼっ、ぼっ、ぼくらは、しょうねんたんていだん♪」 なんて歌いながら、探偵ごっこや探検ごっこをやっていた。 公園内に、廃墟のような洋館があり、それを「お化け屋敷」なんて 呼んでいたのを覚えている。 啄木の歌碑のある築山にもなんどものぼって、頂上から、 「わるいやつはいないか?」 なんて見ていたけれど、歌碑のことは覚えてないなあ。 | |||
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歌碑には、この歌が刻まれている。 函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌(こひうた) 矢ぐるまの花 「一握の砂」 写真ではよく見えないなあ。 |
青柳町は、函館山の麓に位置し、坂の多い町だった。 冬の朝など凍りついた坂道に立つと、そのままスーっとかなりの距離すべって いくことができて、何度も転びながら、すべって遊ぶのを楽しんだりした。 |
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登校時だったか、下校時だったか。登校時だったように記憶している。 学校のスピーカーから「カッコーワルツ」の曲が流れてくる。 この曲が終了すると遅刻になりますよ、というような合図だったように思う。 今でも、「カッコーワルツ」は、流れているだろうか? |
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