東京(江戸)・散歩 |
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東京散歩・お江戸散歩 |
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《その一》 『ここのコンテンツについて』 小説といっても、それほどたくさんのものを考えてはいない。 『鬼平犯科帳』と『剣客商売』である。 本は、どちらも、全部読み終わった。 実は、CSテレビで、池波正太郎アワーとして、『鬼平犯科帳』と 『剣客商売』が放映されている。 今、私は、これを見るのが、大の楽しみになっている。 見た後は、小説を引っ張り出してきて、ドラマと比べてみたり する。 微妙に違いがあり、ドラマもいいのだが、やはり小説の方が なんともいわれない味わいがあり、私は、池波正太郎の文章 の方に軍配を上げてしまう。 『鬼平犯科帳』では、主役の鬼平を中村吉右衛門が演じていて、 私は、中村吉右衛門の大フアンなのだが、たまに、同じ『鬼平犯科帳』 でも、吉衛門の父親の松本幸四郎が鬼平役のものが流されたりもする。 これも面白い。 ドラマ『鬼平犯科帳』が大好きな理由の一つは、中村吉右衛門のなんとも いわれぬあたたかさを感じる演技なのだが、もう一つは、ラストシーンに 流れるエンディングテーマ曲、ジプシーキングスの 『インスピレイション(Inspiration)』 である。 もうなんともいえない、すばらしい曲なのだ! 中村吉右衛門が演じる『鬼平犯科帳』のラストに、これほどぴったりの曲は ない!! しかし…。 ラストシーンのどこで、この曲が流れ出すかに関しては、わたしは、かなり うるさく注文をつける。 でき上がっている作品に、テレビの前で注文をつけたって、土台、どうしよう もないのは分かっているのだが、そうもいかない。 「ダメ、曲の流れ出し、遅すぎる!」 とか、 「うーん、今一。鬼平の最後のセリフが終わるか終わらないかの、ほんの 少し前から流れ出してこそ、効果!」 等々、ぶつぶつやっている。 ドラマの製作者も頑張っているのはわかるのだが、『インスピレイション』の 流れ出すタイミングについては、私は、時々不満をいだいてしまうのだ。 で、ジプシーキングスについてなのだが、私は、このグループは、日本人の グループだとばかり思っていた。 (時代劇のエンディングテーマで、ギターの演奏が入るなんて、製作者は、 すごいいいセンス。なんといっても、『鬼平犯科帳』のラストにまったくぴったり だものなあ。殿様キングスは知っているが、このグループは、もっと若い世代 なのかな。) ぐらいに思っていた。 音楽に疎いもので、しょうがないといえば、しょうがないのだが。 インターネットで調べていたら、偶然、「ジプシーキングス」に関連したサイト が出てきた。 Bamboleo-The Unofficial Gipsy Kings Homepage in Japan ジプシーキングスのオフィシャルサイトも。 南フランスでうまれたジプシー(ロマ)の現役グループで、あちらでは、 すごい人気のグループなのだとのこと。 ビールのコマーシャルで流れる『ボラーレ(Volare)』は、彼らの演奏とのこと。 知らなかった!! うれしいことに、「ジプシーキングス」で検索をしているうちに、 「インスピレイション」を聴くことができるサイトまで見つかった。 YouTubeのoniheiEDというところで、インスピレイションの曲を、 好きな時に聴くことができるのだから、こちらとしてはうれしい のだが、ここ、著作権とかそういうのは大丈夫なのかね。 同じくYouTubeの「Jidaigeki - Onihei Hankacho : Kyozoku(brutal thief)」。 「凶盗」のシーンとそのエンディングのシーンを見ることができ、 インスピレイションを聴くことができる。 *上の二つ、残念ながら、松竹株式会社から著作権侵害の申し立てがあり、 削除されてしまった。 『剣客商売』の主人公、秋山小兵衛役は、藤田まことである。 中村吉右衛門とならんで、藤田まことも大フアンである。 藤田まことは、必殺シリーズで「中村主水(なかむら もんど)」と いう役でも出ているが、私は、必殺シリーズは、あまり好きで はない。 池波正太郎の梅安シリーズなども、私は、敬遠してしまう。 『剣客商売』では、よほどのことがない限り、秋山小兵衛が 人を斬り殺すシーンは、出てこない。 斬り合いをしても、無外流の秋山小兵衛は、腕や足の腱を切って 戦力を失わせるだけ、というのが多い。 ちょうど今も、ホームドラマチャンネルで、『剣客商売』を 見たばかりだ。 『剣客商売(一)』(新潮社文庫)の第四話「井関道場・四天王」 をドラマ化したものだ。 ドラマでは、浅草の浅草寺付近で、秋山小兵衛の一子、大治郎が、 偶然、井関道場の四天王の一人、渋谷寅三郎と出会うことになる シーンで始まっている。 暴れ馬の引いた荷車の下敷きになってしまった幼子を、渋谷と大治郎が 助けたことから、意気投合。 しかし、この仲良くなった渋谷寅三郎が、市ヶ谷・長延寺谷町にある井関道場 の西側の「暗闇坂」で、頭を割られ、心臓深くまでとどめを刺された姿で発見される。 やはり、どの辺りだろう、となる。 秋山小兵衛の鐘ヶ淵の家の位置や、四谷・伝馬町の御用聞き・弥七の住む武蔵屋、 神田・小川町にある田沼意次の屋敷の位置、浅草の外れの、真崎稲荷明神社近く にある大治郎の道場の位置なども、知りたくなる。 江戸切り絵図を紹介するサイトがあり、アマゾンで、地図を 購入した。 『切り絵図・現代図で歩く 江戸東京散歩』(人文社)という 本だ。(私のこのコンテンツと似た題名だが、これは、まった くの偶然)。 切り絵図と現代の地図が見開きのページで、比較できるように なっていて、とても便利なものだ。 しかし、私など、この地図を見ても、まだどうも全体的な位置関係 などが頭に入ってこない。 この地図で目星をつけながら、あちこち出かけていって、 小説の中の場所を訪ねながら、頭の中に「地図」をたたきこんで いきたいと思う。この「地図」が、頭の中にでき上がった時には、 小説を読む楽しみが、どれほど膨らむかわからない。 ところで、ドラマ『剣客商売』では、井関道場の紛争が解決した後の 最後のシーンで、渋谷寅三郎を暗殺した犯人、四天王のひとりである 小沢主計とその家来の三人は、渋谷寅三郎の仇討ちであるとして、 大治郎が、立ち合いを申し込み、斬り倒している。 小説「井関道場・四天王」では、次のように書かれている。 |
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小説では、小沢主計と家来・神谷新蔵のふたりのみが、死体となって発見された ことが書かれており、誰がその「天罰」を下したのかについては、隠されている。 秋山大治郎ではありえない。井関道場の紛争の頃、秋山大治郎は、嶋岡礼蔵の 遺髪を届けるため、礼蔵の実家のある大和に旅立っていて、いないのである。 何やら、すごい手練の者の仕業であるということと、秋山小兵衛の言葉から、 もしかしたら…。 と思わせる手法で小説は終わっている。 |
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右の写真は、2008年5月6日(火)、ゴールデン ウイーク最終日に、浅草に出かけた時のもの である。 このコンテンツで、今後、この種類の「東京散歩」 が、どんどん増えていくことだろう。 |
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それと同時に、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』 の舞台を廻る「お江戸散歩」も、増えていく ことになる。 |
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さらに、何よりも、「お江戸散歩」の本(もと)である『鬼平犯科帳』と『剣客商売』 に関する記述も増えていくだろう。 |
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《その二》 『膳の研究(食事の情景)』 | ||
池波正太郎の本に、『わたしの旅』(講談社文庫)というのがある。 いろいろなテーマを取り上げてのエッセイ集なのだが、その中の 《時代小説の食べ物》というテーマのエッセイの中に、こういう記述がある。 |
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長い引用になってしまったが、 ・庶民が西瓜などを食するというゆとりができてきたのは、 江戸時代も、元禄の時代ころからであるということ。 ・また、客に食事を提供する店ができてきたりするのも、 その頃だったらしいということが分かる。 働いて得た賃金で衣食住をまかない、たまには西瓜のような 嗜好品を買うゆとり(経済力)も出来てきた、ということだろう。 ただし、「茶飯にとうふ汁、煮しめなどをつけて客をよんだもので、 これが大評判となった。」とあることからしても、この当時の江戸の 町の人々の毎日の食事は、かなり質素なものだったのではないか と思われる。 江戸の町の人々の暮らしが、もう少し向上していくには、 さらに時代を経て、日本の国の様々な生産力が伸びて いかなくてはならない。 私は、この時代、食事が二食だったということに、逆に心が惹かれる。 昔は、生産力の関係で「灯油」やら「ろうそく」などが高価なものだった からということだが、 「暗くなればねむる。そして朝早く起きる」 というのは、何か利にかなったことのような気がするからだ。 庶民だけでなく、武士の世界でも、その暮らしぶりは質素で あったことも書かれている。 |
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六万石の藩の重役の夕飯の膳としては、まさに質素そのものである。 私は、「池波正太郎の小説の中に出てくる食べ物」について調べ てみたいと考えている。 江戸時代の人々が、どのような食事を膳に上らせていたのか、つまり メニューを知りたいというのが一つ。 時代とともに、メニューはどのように変わっていくのかも知りたい。 経済の発展で、どのようにメニューが増えていくのか。 もう一つは、江戸時代の人々の食事、暮らしぶりを知ることを通して、 「飽食の時代」と呼ばれて久しい現代日本、その中で生きている私自身の 暮らしのあり方というものを、見つめ直してみたいとも考えている。 贅沢な中で生きていたのでは、贅沢な生き方・作法しか身につけることが できない。 ものの有り余っている中で生きている今の日本人が幸せだとは、私は 思わない。 今の日本人が失ってしまった何かを、江戸時代の人々の食事と暮らしぶり を知ることを通して確かめていってみたいと思う。 『鬼平犯科帳』と『剣客商売』をざっと比べると、『剣客商売』の方が 様々な食べ物の記述が出てくる。 まずは、『剣客商売一』に出てくる食べ物の記述を通して、当時の人々の 暮らしぶり、そこに見られる人々の考え方といったものを調べてみたいと 思う。 |
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『剣客商売一』より ◎根深汁(ねぎの味噌汁)と大根の漬物と麦飯 『剣客商売一』の「女武芸者」の冒頭で出てくる食べ物である。 |
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秋山小兵衛の一子・秋山大治郎は、24歳。 安永六年(1777年)の「初冬」という設定になっている。 元禄時代(1688.9.30 〜1704.3.13)からは、70年以上が過ぎていることになる。 大治郎について、まとめておく。 大治郎は、大治郎が十五歳の夏に、山城の国・愛宕郡・大原の里に 修行に出ている。 そして、秋山小兵衛の無外流の師・辻平右衛門のもとで、 五年間の修行を続けている。 老師・辻平右衛門の病死により、二十歳になった大治郎は、 一度、江戸に戻るが、すぐにまた、父のもとをはなれ、 四年間、「遠国」をまわって修行を積んできている。 そして、四年の所業の後、この年、安永六年(1777年)の 二月末に、江戸に戻ってきたている。 夏になって、「浜町の田沼家・中屋敷(別邸)」でおこなわれた 剣術の試合に参加。 見事な成績を収め、江戸の剣術界へのデビューをはたしている。 そして、今は、「初冬」ということなのである。 秋山大治郎が住む無外流の剣術道場・兼住まいは、 父の秋山小兵衛の援助によって建てられた。 新築ではなく、改築のようだ(P99)。 「道場をたててやったのだから、これからは、お前一人でやれ」(P66) というわけで、その他、金の援助などはない。 弟子はまだ一人もいない。 というわけで、普通に考えれば、「貧しい」(P18)のである。 そんな状況にある彼の食事が、 「根深汁」と「大根の漬物」と「麦飯」 のみなのである。 これも、まさに質素そのものである。 おいおい明らかになっていくが、しかし、この食事には、「貧しさ」はない。 ここに、私は、魅力を感じる。 大治郎の生きざまにである。 |
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◎お茶と嵯峨落雁(さがらくがん) 「あたたかい初冬の陽ざし」(P17)の日、大治郎は、父・小兵衛(五十九歳)の 家を訪ね、お茶とお菓子をごちそうになる。 |
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大治郎の母となる「おはる」は、十九歳。 「上等の茶」が出、「銘菓」が出てきている。 時代がずいぶん裕福になってきているのを感じる。 しかし、その「上等の茶」も「銘菓」も、大治郎が、何やら 「根深汁」に「大根の漬物」、「麦飯」と同等のような感じで 味わっている雰囲気は、不思議な印象を残す。 |
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◎酒と納豆汁(なっとうじる) 大治郎のところを訪れて、「人ひとり、その両腕を叩き折っていただきたい」と 依頼をしにきた人物がいる。 その人物について調べを進めてもらうため、小兵衛は、おはるの父親に頼んで、 四谷・伝馬町の御用聞き・弥七( 歳)のもとに手紙を届けている。 小兵衛の手紙を受け取った弥七が、手土産の魚や野菜をもってかけつけて きて、二人の相談が始まるのだが、その時に出てくるのが、この「納豆汁」と 酒なのである。 |
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「納豆汁」とは、味噌汁に納豆のきざんだものを入れたものか。 ほかの具も入っているのかも知れない。 |
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◎豆腐の吸い物 甘鯛の味噌漬けなど 佐々木三冬(十九歳)が、実母「おひろ」の実家、下谷五条天神門前にある 書物問屋〔和泉屋吉右衛門〕宅で食べた夕餉のいくつか。 和泉屋吉右衛門は、三冬の母の実兄で、三冬にとっては、伯父にあたる。 「甘鯛の味噌漬け」というのは、この当時、一般庶民の口にも入る料理だった のだろうか。それとも、裕福な商家だから出てくる料理なのだろうか。 |
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このあと、三冬は根岸の寮に戻っていくのだが、寮の近くで四人の賊に襲われ両腕を 折られそうになるところを、小兵衛に助けられ、「女武芸者」のドラマは進んでいく。 |
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◎餅 |
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金の援助はしないが、「餅」くらいは届けてやってもいいだろう、ということか。 そして、年が明けて、安永七年(1778年)。 秋山小兵衛六十歳、大治郎二十五歳となる。 おはる、三冬は、二十歳である。 |
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◎一椀の汁と麦飯 「女武芸者」の中では、「一椀の汁」と「麦飯」で終わる。 |
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◎田螺汁(たにしじる) ここからは、第二話「剣の誓約」に出てくる料理になる。 |
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この時、大治郎の道場には、入門者が一人もなく、 「米も味噌も底をつきそう」(P66)になっていたのである。 かつて、一人のみ入門者があったのだが、三日で逃げられている。 その時の「束脩の金」で、味噌、米を買って、半年に一度、支払う 取り決めになって いた百姓の女房への給金も支払うことができた のだが、その後、入門者はなく、新たな金は入ってきていない。 「田螺汁」か。 除草剤をつかうからだろうか、最近のさいたま市に残る田んぼや 用水、田螺も泥鰌も見られなくなった。 30年以上前は、ときたまシジミも見られたのになあ。 チャコさんの実家のある川島町の方だと、田螺も泥鰌も健在だから、 いつか、「田螺汁」は実践できそうだ。 |
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・食べ物をしっかり噛みつぶして、腹におさめること ・食後は、半刻ほど目をとじ静臥すること どちらも、大治郎が幼少の頃から、父・小兵衛によって仕つけられたことなのだという。 このような仕つけのできる父親というのもすばらしいと思うのだが、その仕つけをしっか りと身につけ生きている大治郎にも、私は、とても魅力を感じる。 それにしても、「よく噛んで食べる」というのは、よく言われることなのだが、 この大治郎の食べ方は、私のようなシニア世代には、特に必要な食べ方だろう。 私など、上下に入れ歯を入れると、腹がすいていても「食べる」のが億劫に なってしまう。 それでも、栄養を摂っていくためには食べざるを得ない。 ご飯も少し、おかずも少し口に入れて、ゆっくり噛みしめていくしかないのだ。 贅沢はする気はない。 しかし、「栄養のある美味いもの」をしっかりと食べていきたいものだ。 |
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◎田螺汁と麦飯 大治郎が静臥しているところに、「嶋岡礼蔵」(五十七歳)が、 「大治郎。こたびは、おぬしにわしの、死に水をとってもらわねばならぬ」 (P69) と訪ねてくる。 嶋岡礼蔵は、〔無外流〕の辻平右衛門直正が「麹町九丁目」に道場を開いてい たときの門人の一人である。 |
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この時、もちろん、大治郎は生まれていない。 しかし、大治郎は、十五歳の夏、小兵衛によって山城にいる辻平右衛門(七十歳) のもとに送り出されている。 |
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大治郎は、平右衛門から「江戸へもどれ」とは言われなかったようだ。 やはり、小兵衛の「仕つけ」がものをいったようである。 この後、老師・平右衛門が病没するまでの五年間、大治郎は山城で修行を続ける。 |
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この「嶋岡礼蔵」が、訪ねてきたのである。 師・嶋岡礼蔵を風呂に入れ、背中をながしたあと、大治郎は、礼蔵のために食事の 用意をする。 |
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この日は、酒は出なかったようである。 |
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◎浅蜊の剥身と葱・豆腐を、さっとうす味に煮こんだもの、冷えた酒、麦飯 大治郎は、礼蔵が訪れた次の日、礼蔵から託された書状をもって柿本源七郎のもとに 出かけている。 礼蔵と柿本源七郎との果し合いは、二日後と決まる。 その日の夜。 |
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この語らいの中で、礼蔵が「茶わんの酒(冷えた酒)」を 飲むシーンが出てくるのだが、この酒は、礼蔵が自身で 買ってきたものか、大治郎が買ってきたものかは分からない。 大治郎は、礼蔵が来ていることを、父・小兵衛にはまだ知ら せていない。 だから、父のもとから酒を手に入れてきたのではない、 ことだけは確かだ。 「浅蜊の剥身と葱・豆腐を、さっとうす味に煮こんだもの」 (味噌味?)というのを、いつか自分でも作ってみようと 思っている。 浅蜊から出汁が出て、さぞ美味い味になるにちがいない。 「深川飯」などというのは、これに似たものなのだろうか。 |
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◎鯉の洗い、鯉の味噌煮、鯨骨(かぶらぼね)と針生姜の吸い物、そして酒 ここからは、第三話「芸者変転」になる。 上の料理は、最後のシーンで四谷の御用聞き・弥七と小兵衛が、 小兵衛の住む鐘ヶ淵の家で食べている。 この第三話のゆすり事件で、小兵衛は弥七に事件解決のために情報収集を 依頼している。 事件解決後、小兵衛は、弥七の労をねぎらうために、弥七を鐘ヶ淵の家へ招き、 これらの料理でねぎらう、というシーンである。 |
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◎鯰(なまず)の醤油煮 ここからは、第四話「井関道場・四天王」になる。 用事で実家に戻っていたおはるが、鯰を土産に帰ってくる。 父親が、近くの川あたりで捕らえたものか。 |
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「すっぽん煮」というのは、どういう食べ方なのだろう。 「すっぽん」などまだ食べたことがないので、よくわからないが、 醤油で煮るのとはまた違った食べ方なのだろう。 |
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◎蛤飯(はまぐりめし) この料理は、第五話「雨の鈴鹿川」に出てくる。 嶋岡礼蔵の遺髪を、大和の国・磯城郡・芝村にある礼蔵の実家に届けた大治郎は、 芝村から山城の愛宕郡・大原の里を訪ねた後、江戸への帰途に着く。 そして、途中、関の宿を発ってまもなく、「井上八郎」と出会うことになる。 |
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桑名まで行くという井上八郎に、大治郎も同道することになる。 同行の途中、大治郎は、井上八郎が、かつて多大な恩を受けた上司の息子・後藤 伊織(仇討ちの追っ手がかかっている)の救援・助勢のために、桑名に向っている ことを聞かされる。 後藤伊織がかくまわれている油問屋〔平野屋〕で八郎とともに訪れた大治郎たちに、 ふるまわれたのが、「蛤飯」なのである。 |
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◎蕎麦の実をまぜた嘗め味噌と茄子の丸煮(煮びたし)、冷酒「亀の泉」 第六話の「まゆ墨の金ちゃん」の冒頭で出てくる料理である。 |
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牛堀九万之助、四十一歳。 最近、秋山小兵衛との親交が深まっている。 |
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来たのは、三浦金太郎(二十八歳)。 剣術の腕前は「相当なもの」で、九万之助の代わり に門人たちへの稽古をつけていたこともある。 この金太郎、口紅をさしたり、眉墨を使ったり、耳の後ろに白粉をつけたりするもので、 老僕の権兵衛などからは、「男女(おとこおんな)」「糸瓜(へちま)の化け物」などと、 悪口をたたかれている。 秋山小兵衛は、彼のことを「まゆ墨の金ちゃん」と呼んでいる。 |
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◎味噌汁(のにおい) 大治郎暗殺の決行が明日に決まったことを、牛堀九万之助から聞かされた小兵衛が、 大治郎宅を訪ねる。 |
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小兵衛は大治郎にいくつか質問をしたのみで立ち去っていく。 |
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息子・大治郎の生死をめぐって、小兵衛が苦悩を続ける場面なのであるが、 小兵衛が、父親としてこのような姿を見せるのは、『剣客商売』の中でも たいへんめずらしい。 |
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◎梅干と瓜の漬物、白粥(しらがゆ) 大治郎襲撃決行の日、一日中、寝床からはなれなかった小兵衛。 |
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◎鮎(塩焼き)と酒 第七話「御老中暗殺」に入る。 『剣客商売一』の最終話である。 田沼家の〔御膳番〕をつとめる飯田平助のふところから紙入れが 掏り取られるのを佐々木三冬が偶然見ていた。 三冬は、掏摸(すり)から平助の紙入れを取り戻すのだが、 中から出てきたのは大枚の金と共に油紙にくるまれた薬の 包みであった。 三冬は疑惑を抱き、秋山小兵衛宅を訪れる。 本所・亀沢町に住む町医者の小川宗哲の鑑定により、その薬が 毒薬であると知った小兵衛は、飯田平助の動きをさぐる手伝いを たのむために、四谷伝馬町の御用聞き、弥七の家に出向いて行く。 |
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◎冷えた瓜(うり) 弥七の探索により、平助が一橋家の控屋敷に入ったことを知った小兵衛、大治郎親子が 屋敷近くの木立の中で見張りをしている。 時は四ツ(午後10時)ごろである。 |
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梅雨の明けた夏の夜のことである。冷えた瓜は、まさに「何よりの馳走」だろう。 私などは、蚊のことが気になってしまうのだが……。 |
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◎冷えた白玉と熱い煎茶 事件が解決して10日ほどすぎた日の午後、昼寝をむさぼっている小兵衛のもとへ、 田沼意次が三冬と十騎ほどの供をしたがえて訪ねて来る。 おそらく、小兵衛は田沼意次を遠くからは見てはいると思うのだが、直接に面と向かって 対面するのは、このときが初めてではないかと思う。 その意次に、小兵衛は、「冷えた白玉」と「熱い煎茶」を出すのである。 |
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おはるは、小兵衛と昼をすませたあと、「野菜をとりに」関谷村の実家に出かけている。 「お目ざが、井戸に冷やしてありますからね」 の「お目ざ」の意味が最初わからなかったのだが、今回読みなおしてみてよくわかった。 いい日本語だなあと思う。 小兵衛と意次の会話もいい。 なんともいわれぬ、ていねいな日本語が使われているのである。 まだ『剣客商売一』のみであるが、大治郎の毎日の食事は別として、 江戸にはずいぶん素敵な食材があることに驚く。 野菜なども、人肥などをつかって育てられていたのだろうし、川や 田んぼなどでは、田螺、泥鰌、鯰等々もとれる。 贅沢ではないが、身体にいいものを食べていたんだなあとうらやましく 思ってしまう。 |
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