青函連絡船

故郷・北海道の物語

青函連絡船・銅鑼(どら)の音と蛍の光

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 『銅鑼(どら)の音とともに、青函連絡船で』




  1973年(昭和48年)、北海道教育大学函館分校

  卒業。

  3月末、私は、青函連絡船の中にいた。

  私は、東京の北区の小学校に、赴任することに

  なっていた。

  
     JR函館駅から徒歩3分ほどのところに、
      「青函連絡船・摩周丸」が、残されていて
      記念館として、船内が公開されている。

本州に渡る時、必ず利用するのが「青函連絡船」で、「青函連絡船」といえば、

「銅鑼の音」「蛍の光」である。


中学時代に、修学旅行で東京に向かった時、大学受験のために盛岡に向かった時、

そして、大学時代の仙台行、東京行の時等、
「銅鑼の音」「蛍の光」は、青函連絡船の

象徴だった。


1973年(昭和48年)3月末、就職のために東京に向かう時も、同様だった。


「ジャーン、ジャーン、ジャーン」

という銅鑼の音とともに、出航。

「蛍の光」の曲が流れ出し、見送りの人たちと見送られる人たちをつないだ七色のテープを

たなびかせながら、船は、函館港を離れていく。



見送りの人たちの顔が少しずつ小さくなっていく中、早目にデッキから離れた

のを覚えている。


いつまでも見送られているのが気恥ずかしかったからだ。


新しい世界への出発である。

北海道に残った仲間。

東京に一緒に向かった仲間。

神奈川に行った仲間。

神奈川に行って、後に北海道に戻った仲間。


その後の人生は、様々である。


北海道に残った友の一人は、養護学校で

教諭を続けながら、「昆虫博士」として、今、

北海道の有名人になって活躍している。



神奈川に行った友の一人は、やはり教諭を続け

ながら、「社交ダンス」の競技会で、パートナーの

奥さんと一緒に今も活躍している。

大学時代に、ダンス部に勧誘したのが私だという

ことを忘れてないだろうな。

当時は、どうしようもない下手くそだったが、

彼は、もう名人の域に行ってしまった。



東京でがんばっている友の一人は、奥さんと共に

熱心に作文教育に取り組みながら、大学時代

同様、山歩きをし、山の写真を撮り続けている。

大学当時から、山男そのもののような、体のがっ

しりした友だった。



神奈川へ行って、その後、北海道へ戻った仲間は、

北海道各地の養護学校で勤務を続けた後、今は、

実家の近くの養護学校の校長になって、HPに写真が

出ている。昔、「上磯の王子様」なんてあだ名のあった

友である。

*2009年9月の連休に、「昆虫博士」と、かつての
「上磯の王子様」と会って来たが、昆虫博士のK君は
ずっと五稜郭のそばの養護学校に勤務、上磯の王子の
S君は、一年前、函館聾学校に転任とのこと。
校長挨拶のところに、写真が載っているので、ヒマな方は
どうぞ!



私はといえば、今、家庭の「主夫」である。


遠ざかる函館。北海道。

青函連絡船」は、私が旅立ちをしたあの年から

15年後、1988年(昭和63年)の「青函トンネル」

の開通に伴い、運行を終了。

津軽海峡から姿を消すことになる。

    JR東日本青森駅から徒歩5分のところにある
     「青函連絡船・八甲田丸」
     メモリアルシップ(博物館)となっている。



「青函連絡船」はなくなってしまったが、北海道と内地(本州)を隔てる津軽海峡を、今は、

「フェリー」がはしるようになった。


「北斗星」で「青函トンネル」を走りたい?

ご随意に!


日本人は、古来から海洋民族の血を持っているのだ。

「フネ」(舟、船)で、海を渡るべきだ。


東日本フェリー

青函フェリー


2007年9月から就航した、東日本フェリー「なっちゃんRera」というのは、

青森ー函館間113qを1時間45分ではしるという。


そんなに速くはしるんだから、人間だけを乗せるのかなと思ったら、他のフェリー

同様トラックや自動車等も乗っけるという。



海の上まで、そんなに速く、はしる必要があるのかね。

(というよりも、事故らない?津軽海峡のマグロを吹きとばしたり、クジラと

ぶつかったりなんて危険性はないんだろうか。)


速く行きたいのなら、飛行機もあるし、汽車で青函トンネルを走りゃあいいんだ。

車も一緒じゃあムリだけど。


いずれにしても、こちらは、2等船室で、ごろりとなったり、デッキでカモメをながめ

たりしながらの、4時間の船旅でいい。


*すごいよね、「青函連絡船」のドラの音や、船内に流れていた蛍の光などを聞く

 ことのできるサイトがある。

 
「煙の絵日記」と言うサイトの中に、

 
「青函連絡船」
 (  http://koringo457.web.infoseek.co.jp/sound01seikan.html  )

 というコンテンツがあり、ここで聞くことができる。

 リンクには、許可を得ないといけないことになっているため、まだ未リンク。

 このサイトにお出かけの折は、上記URLをコピー&ペーストで。


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