七夕祭り

故郷・北海道の物語

記憶の中の七夕祭り

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     『函館の七夕祭り』



   我が故郷・函館の紹介に「七夕祭り」のことを

   書こうと思っていた。

   「七夕祭り」というと、普通は、短冊に願い事を

   書いて笹につるす、というのが主流だろう。

   ところが、私が経験していた函館の七夕祭り

   は、それとはずいぶん違ったものだった。
    五稜郭タワー七夕まつり2007」より。  



言っても、この「函館の七夕祭り」の記憶は、私が、坂の下の町・末広町に住んで

いたころの記憶で、1959年(昭和34年)、私が、小学4年生の頃の記憶になる。




だから、今は、函館の七夕祭りの行われ方も、変ってきているかも知れない。






7月7日の夕方になると、私たちは、提灯(七夕用に、きれいな模様がついた

提灯がお店で安く売られていた)やら、時には、缶詰の空き缶で作ったカンテラ

などを持って、近所の家々やらお店やらを、何人もで回って歩くのだ。



ぜんぜん知らない個人の家やら、入ったこともないようなお店に行って、

入り口の前で、下のような歌を歌う。


「竹〜に短冊、七夕祭り、多いはイヤよ、ロウソク一本ちょうだいな〜♪」



そうすると、家の人やお店の人が出てきて、私たちが用意してきた袋の中に、

お菓子(たまに、ロウソクのこともある)を入れてくれるのである。



お礼を言って、次々と別の場所を訪問。

歌を歌って、お菓子をもらう。



函館の七夕は、小さい子どもたちにとって、そのようなものだった。





ちなみに、歌い終わってからしばらく待っても、家の人が出てこなかったりすると、

「竹〜に短冊、七夕祭り、多いはイヤよ、ロウソク一本ちょうだいな〜♪

 けねーとカッチャクど(ぞ)♪

とやったものだ。


「けねーとカッチャク」というのは、「くれないと、引っ掻いちゃう」という意味の「函館弁」である。






私は、子どもながら、

「多いはイヤよ」

というくだりは、

「多くはいりません。お菓子は、たくさんでなくていいですよ。」

という意味で、謙虚な心を表した、いい言い方なのだろうと考えていた。






ところが、函館の七夕のことを書こうとして、インターネットで、

「函館 七夕(祭り)」で検索してみたら、ぜんぜん違っていた!


「竹〜に短冊、七夕祭り、大いに祝おう、ローソク一本ちょうだいな〜♪」

だと書かれているじゃあないか!






????

とんでもない!

私の場合、間違いなく、「おおいはいやよ」であって「おおいにいわおう」

じゃなかった。



いつから「おおいにいわおう」になったのだろう。

それとも、昔も、「おおいにいわおう」と唱えている地域があったのだろうか。




まあね、「大いに祝おう」の方が、教育的にはイイかもしれないけどね。





少年時代の情景の「少年 ヒデ」氏は、「おおいは いやよ」派である。



彼は、2005年7月7日のブログの中で、こうも書いている。

〈東北地方のねぶた祭りで、張り子を引く時に「オーイヤ、イヤヨ」とかけ声を

 かけるそうであるが、これが変化したものと言う説もある。〉




これからの函館では、「大いに祝おう」が残っていくのだろうが、

かつて同じ「おおいはいやよ」で唱えていた人がいたことを知って

うれしくなってしまった。

「少年 ヒデ」氏は、自分でイラストを書いているようだ。

面白い記事とステキなイラストが楽しめるブログである。




 
インターネットで、「函館 七夕(祭り)」で検索を!
見つけた!!




*2010年2月11日(木)、偶然「ローソクもらい まぼろしの函館ねぶた」というの
を見つけたので、追加記載!

「北海道の公式ホームページ」から、「教育・文化」>「文化・芸術・スポーツ」>

とたどっていくと、「伝えたい北海道の物語」デジタル写真館というのが出てくる。

その中に、「ローソクもらい まぼろしの函館ねぶた」という作品が紹介されてい

るのだが、これが函館の七夕のはじまりの紹介になっていて、参考になる。



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