三島由紀夫・三島事件 |
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三島由紀夫と三島事件 |
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HOME 〉 三島事件起きる…三島由紀夫、市ヶ谷で割腹 |
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1970年(昭和45年)11月25日、午前11時過ぎ、陸上自衛隊東部方面総監部の 総監室を、三島由紀夫が「楯の会」メンバー4人と共に訪問。 最初、総監・益田兼利陸将と談笑した後、三島由紀夫と「楯の会」のメンバーは、 総監を人質に取って総監室に籠城。 この時、総監を救出に動いた幕僚の中に、日本刀で切り付けられ重傷を負った 人が出ている(「日本刀」を所持したまま、自衛隊総監部に三島たちが入って いけるということ自体、どういうことなんだという気がするけどね)。 その後、三島が自衛官たちやマスコミ陣に向けて、バルコニーから自衛隊決起を促す 演説をするのだが、自衛官たちの反発の声や野次に、演説はかき消されてしまう。 |
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演説が野次にかき消される中、口をぬぐうような動作をした三島が バルコニーから去っていくテレビのシーンを今でも、思い出す。 この後、三島は総監室で、割腹自殺を遂げる。 享年45。腸が飛び出すほどの腹の切り方だったらしく、 介錯が失敗し、三度目で首が落ちたという。 三島のあとに、森田という楯の会の一人も 割腹。介錯をされている。 |
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私は、史学科の友人K君(彼は、今、道南の虫博士として、北海道で有名人に なっている)から、この報道の情報を受けた。 私は、この時、大学2年だった。 この1年前、1969年(昭和44年)、一浪後、私は、北海道教育大学函館分校に入学している。 最初、教育科に所属していたが、2年のこの時は、哲学科に移っていた。 哲学科には、たくさんの個性的な学生と教授が集まっていた。 哲学科のメンバーが、ワンダーフォーゲル部や山岳部に所属しているという関係などもあり、 キャンパスに、ワンゲル部や山岳部がテントを張っていたりすると、中に入り込み、夜遅くまで 飲み、語り明かしたりしていた。そんな時期である。 どういう関わりから集まったものか、哲学科、数学科、史学科、国語科等のメンバー8名ほどで、 読書会が続いていた。 月に1〜2回のペースだったろうか。 太宰治やら芥川龍之介、三島由紀夫など、担当のメンバーが作者名と本の題名を伝えて、 会の実施日までにその本を読んでおき、当日提案を受けて、議論し合うというものだった。 手に入りやすいということもあって、ほとんど文庫本が主だったが、それでも45冊近くは読み 合ったろうか。 特に、三島由紀夫の本は、何冊も読み合っていたので、三島の割腹自殺の情報に、私たちは、 かなりの衝撃を受けてしまった。 その後も、読書会はしばらく続いていく。 ただ、三島の本は、取り上げられることはなかった。 あの事件が起きる以前に、すでに、どこかで、三島に対して、異質なものを感じ始めていたのでは なかったろうか。 大学4年になり、卒論の作成やら就職の準備等で忙しくなる頃には、大学紛争の関係もあった かも知れない、いつしかこの会は、開かれなくなっていた。 |
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