洞爺丸台風

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洞爺丸台風と私

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     『記憶の中の洞爺丸台風』




    1954年(昭和29年)9月26日、この日、

    「台風15号」(洞爺丸台風)が函館を襲う。

    青函連絡船・洞爺丸は、台風15号の暴風

    の中、函館港外に待機していて、七重浜

    近辺で転覆。

    死者・行方不明者あわせて1139人だった

    と言う。


        転覆して、船底を見せている
          「青函連絡船・洞爺丸」


この時の「台風15号」は、1139人もの犠牲者を出したこの悲劇の船「洞爺丸」の名を取って、

後に、
「洞爺丸台風」と命名されることになる。


私が、5歳の時のことだ。
「洞爺丸台風」という名前は、何度も聞いていたが、

これまで、この「洞爺丸台風」と、この海難事故について、

私は、私自身とそんなに関係のない出来事なのだと思っていた。


ところが、違っていた。


私は、その日を
記憶していたのである。




「洞爺丸台風」について、調べてみた。


「洞爺丸」という名称がついているので、沈没したのは「洞爺丸」だけ

かと思っていたが、違っていた。

函館港の外で
5隻の船が遭難している。




第十一青函丸(2,851トン) …19時57分を最後に通信途絶。
                   後に波浪による船体破断のため沈没。
                   全員死亡。
                   殉職者の時計から20時頃の沈没と推定
                   されている。

北見丸(2,928トン)     …22時35分葛登支灯台沖にて転覆沈没。

洞爺丸(3,898トン)     …22時43分七重浜沖600mにて座礁。
                  後に転覆。

日高丸(2,932トン)     …23時32分SOSを発信し、23時40分防波堤
                  灯台西方1.5kmにて転覆沈没。

十勝丸(2,912トン)     …23時43分葛登支灯台沖8kmにて転覆
                  沈没。


  
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)





台風から避難する船舶で函館港内が混雑していたことなどがあって、

上の5隻の連絡船は、函館港外で天候が収まるのを待っていて、

事故にあっているらしい。



函館港の外の「風雨」と「波浪」が、それほどまでにひどかった

のだろう。




『洞爺丸台風』で遭難した5隻をあわせた犠牲者は、

最終的に1,430人という。


1912年の「タイタニック号沈没(」1513人)

1865年の「サルタナ号火災」(1450人)


上の2つの海難事故に次ぐ、「世界第3の規模の海難事故」となった

と言われている。



北海道の9月末、夜の8時以降の海など、どんなに冷たかったろうと

思う。



この海難事故をきっかけに、「青函トンネル」構想が急速に具体化

されていくことになる。






この世界第3の規模の海難事故、「洞爺丸台風」の時、実は、

私の
中島町の生家が、かなりのダメージを受けていたのである。



このサイトの2ページ目、『日当たりのいい縁側と、葡萄の木の家』で、



「この家の記憶は、もう一つある。

 この記憶も、小学校入学前のことだと思う。

 
台風が来ていたのか。

 家中、ひどい雨漏りだった。

 寝る場所がなくて、その日は弟と一緒に押入れで寝た。

 この家の記憶は、この日で終わる。」



と書いたが、その時の台風が、実は、この
「洞爺丸台風」だったのである。

  
                                                              
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