縁側と葡萄の木

故郷・北海道の物語

縁側と葡萄の木の家

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 『日当たりのいい縁側と、葡萄の木の家』


  庭に葡萄の木があって、何かの折に母が葡萄の房
  を切り取って家の縁側で食べさせてくれたのを覚え
  ている。

 故郷・北海道、函館の生家について、私の覚えている
  最初の「記憶」だ。小学校に入る前のことだったと思う。

  小さかった私には、日当たりのいい縁側と、葡萄の木、
  広い庭の印象が残っている。


      中島町のど真ん中にある「函館の台所」
     中島廉売(なかじまれんばい)。
     中島廉売は、昭和9年からの歴史を持って
     おり、時期によっては、メインストリートに
     「露店」がずらーっと、並んだりする。

1949年(昭和24年)12月、私は、北海道の函館で生まれた。

小学校入学前の1954年(昭和29年)頃まで、中島町のその
家に暮らしていた。

その家の縁側で、どてらを着た祖父が赤ん坊の私を
あぐらに乗っけて日向ぼっこをしていたそうだ。

盆栽好きの祖父だったらしい。


photo by Wikipedia
もう一つ、この家の「記憶」がある。

この「記憶」も、小学校入学前のことである。

台風が来ていたのか。
家中、雨漏りがひどかった。
寝る場所がなくて、その日は、弟と一緒に押入れで寝た。

この家の「記憶」は、この日で終わってしまう。


小学校(中島小学校)に上がる頃には、生家とそんなに
離れていないところにあるアパートに引越していた。

2年生になって、また引越しがあり、中島小学校から
松風小学校へ転校している。


この話の舞台は、現在の函館市の地図で、この辺。

ちず丸へリンク(1/5000)

ちず丸へリンク(1/1000


中島町のメインストリート。

時期によって、この通りの両サイドに、
「露店」がずらーっと並び、「大中島廉売」に
変身する。

私が、1、2年生だったこの時代。

1956年(昭和31年)〜1957年(昭和32年)、つまり、
昭和30年代初頭という、
この時期は、どういう時代だったのか。


記憶を通して、探ってみた。


@「カラー写真」は、なかったと思う。


 あったとしても、私のまわりにはなかった。
 小学校入学前に撮った記念写真は白黒だった。


 かなり美男子だった私の写真が函館の実家には残って
 いるはずだが、長靴下のバンドが一つ見つからなくて、
 家族、親戚一同、かなり悩んでいたのを覚えている。


 結局、せっかくの入学記念写真、長靴下の片方がずり
 下がって写っている。


A「蒸パン」というのが、売り出された時期だった。

 「蒸しパン」などというものは、それまで見たことがなかった。
 「甘納豆」が入っているのもあったのかも知れない。

 セイロの中で蒸しあがっていく蒸パンを、
 お店(中島廉売の通りの入り口あたりにあった)の前
 に行って、いつも見ていた。

 買ってもらった記憶は全然無い。

 「パン」といったら、給食で
「コッペパン」というのがあったが、
 それから見たら、すごく美味そうなものだったのだろうと思う。           










  
   「杜の都 仙台市のホームページ」より。

   コッペパン。給食の定番だった。
   「米飯給食」が始まるのは、この時期よりも、
   20年後の昭和50年代になる。
   この時期、まだ時代は、貧しかった。


   「杜の都 仙台市のホームページ」の中の
   「仙台市学校給食の歴史」には、

   昭和30年代から現在にいたるまでの「仙台市」の
   学校給食の献立が、レプリカで紹介されている。

   上の写真は、昭和30年代のもの。
   学校給食が、どのような変遷を経てきたのか、
   大変よく理解できるように示されている。


B「ダンゴ売り」のおじさんが来るのが楽しみだった。

 1、2年生の頃の一番の楽しみは、
「チリン、チリン」 
 という 鈴の音。

 自転車に乗ったダンゴ売りのおじさんが来た合図
 だった。

 アンコのついたダンゴ。
 ゴマ味のダンゴ。
 あまいしょうゆ味のダンゴ(みたらし団子?)。
 竹串にダンゴをさした串ダンゴである。


 でも、いつもダンゴにありつけるわけではない。

 近所のおばちゃんや、親戚のおばちゃんが、
 「おいで!」

 と、近隣のチビどもを呼び集めてくれなければ
 ダメだった。


     3本なんてとても!1本で十分大喜びだった
     んです。
 あの時期、そんなに裕福な時代ではなかったと思うのだが、
 子どもたちを呼び集めてくれるおばちゃんたちが多かった。

 自分の子だけのために団子を買うおばちゃんは少なかったと思う。

 「チリン、チリン」という合図。

 それが聞こえてくるのをどんなに楽しみにしていたことだろう。



C「アイスキャンデー」が売り出された時期でもある。

 おいしかった!

 あの形、あの味を覚えているからだろうか、
 あの頃のシンプルなアイスの味を、今でも
 求め続けている。

 自分でも、
アイス作りに挑戦したのを覚え
 ている。

 食べることに関して、「求める」時代だった。

 大学生くらいになって、一度、野球場のよ
 うなところで、あの頃の「アイスキャンデー」
 の味にめぐりあったことがあったが、今では、
 もうあの頃のようなシンプルなアイスキャン
 デーにお目に かかることはなくなってしまった。


    イラストでは、四角くなっているが
     当時のアイスキャンンデーは、細長い、
     円筒状だったんだよなあ。
D「テレビ」を持っている家は少なかった。

 中島町、大縄町の時代には、テレビを持っている
 家は少なかった。

 この時期、テレビを持っている家はたいへん
 だったろう。

 夕方など、近隣の人たちがおおぜい押しかけて、
 テレビを見せてもらっていた。
 私は、外の窓から中をのぞいていた。
 つてがなかったから。


東芝製 白黒テレビ(「江戸東京博物館」で撮影。 
 ディズニーのアニメだったのだろうか。
 画面の中で動物のキャラクターが動いている
 ことに感動していた。


 もちろん、白黒テレビの時代。

 すぐ近くを流れる「新川」(今は、「亀田川」と
 呼んでいるらしい)の土手から掘り出した
 
粘土で四角いテレビの形を作って、紙に
 書いた絵を画面のところでスライドさせて
 遊んでいた。


     こんな感じなのが、白黒でうごきま
      っていたんだよなあ。
E川は、遊び場だった。

 「新川」で思い出したが、土手によく
カボチャ
 できていたのを 覚えている。

 野菜くずなどと一緒に捨てられたカボチャの種
 から芽が出て自然に育っていったものらしい。


 大雨の後に、この新川に落ちたら大変なことに
 なる(小学生が川に落ちて、ずっと下流まで流
 され水死体になってあがった こともある)が、
 普段は、小学1、2年生でも入って遊ぶことが
 できる深さだった。



 よくタモを使って、ドジョウ小鮒などを取って
 遊んだものだ。

 タモを入れた少し先のあたりから足を使って追
 い込みをかけるのだが、時として
ヤツメウナギ
 が入っていたりもした。

 ただ、水から上がると、足に
ヒルがくっついてい
 たりしてとびあがった!



      これは、現在の新川。
      この土手のあたりが、カボチャが
      なっていたあたり。 
 橋の下は、えぐれて深くなっているところがあり、1、2年生には
 怖くて近づけない場所だった。

 
ナマズの格好の棲家になっていて、大きな子たちがつかまえた
 ナマズがバケツの中にユラ〜と入っているのを見て、橋の下に
 入っていける大きな子たちがうらやましかったものだ。



 いつだったか、この川のずっと上流まで遠征して行き、
 泳いで遊んだのを覚えている。

 
「スッポンカッポン」と呼ばれているところで、川の中に沈んだ
 土管の中をくぐって通り抜けたりして遊んだ。


 当時でも、泳げるくらい、水のきれいな場所だったようだ。



    現在の新川、深さは、昔と変わらない。
        護岸化されてしまっていて、川の中
        に下りていきようがないネ。


F「貸し自転車」、というのがあった。

 自転車屋さんの店先に、貸し出し用の自転車がいっぱい並べてあり、
 30分、何円、といった感じで貸し出すのだ。

 いくら払っていたのかは覚えていない。


 今のように、簡単に自転車を買える時代ではなかった。

 子ども用の小さな自転車なんていうものはなくて、大人用の自転車に
 「三角乗り」をしていたのを覚えている。

 *「NEW STANDARD」 というサイトに、
「三角乗り」
  いいイラストがある。このイラスト、欲しかった!


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