ギブミーマネー・ギブミーチョコレート

故郷・北海道の物語

ギブミーマネーとギブミーチョコレー

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 ギブミーマネーとギブミーチョコレート


 1958年(昭和33年)、函館市の景気を支える
 企業 「函館ドック」は、好景気の中にあった。

 「ギビミーマネー」 「ギブミーチョコレート」という
 言葉は、昭和の30年代に、普通に残っていた
 言葉なのだろうか。

 当時の日本は、まだ貧しかったなりにも、
 「ギブミーマネー」「ギブミーチョコレート」の
 時代はとうに終わっていたはずだ。
 だが、この当時、この言葉は、函館市に
 「存在」していた。


         現在の「函館どつく」。
「函館ドック」という造船所があることからくる、「函館」特有の事情の言葉

だったのかも知れない。


私の父は、この函館ドックで警備員をしていた。


ドックには、修理等でアメリカの船などがよく来ていた。

外国の船がドックに入ると、住んでいる末広町のアパートの前を、黒人や

白人の水兵さんたちが通っていくのだが、子どもたちが、その周りを取り

囲んで、


「ギブミーチョコレート」

「ギブミーマネー」



などとやっていた



水兵さんたちは、笑顔でチョコレートなどを配っていたように思う。

私も、一度か、二度この仲間に加わっている。



ただある時、そんな子たちの中に混じっていて、ふと上を見上げ

ると、電車通りをはさんで反対側にあった「北海道新聞社」(道新)

の二階の窓から、大人の人たち(社員の人たちだろう)が大勢

顔を出して見下ろしているのに気がついた。


(………。)


すごく恥ずかしい気がしたのを覚えている。



   これは、カモメの水兵さん。


その後も、水兵さんたちは何度も何度も通っていったが、私はもう、この仲間に

加わることはなかった。




「函館ドック株式会社」は、その後、社名が、「函館どつく株式会社」という名称に

替わったようだ。1984年( 昭和59年)ことである。



社名変更には、何かの意味があったのだろうな。

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