函館の匂い・塩辛 |
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思い出・函館の匂いと塩辛 |
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『函館の匂いと塩辛』私の記憶では、中学生だった1962年(昭和37年) 〜1965年(昭和40年)、この頃には、函館には 「函館の匂い」があった。 イカの匂いである。 塩辛のような匂い、と言ったほうがいいかも知れ ない。 |
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いい匂いか、悪い匂いかといえば、観光客の立場に立てば、いい匂いではないかも知れない。 しかし、これぞ、「故郷・函館の匂い!」なのである。 昭和30年代後半の函館は、まだまだ水産業(水産加工業)全盛の時代だったのだと思う。 地域にもよるのだろうが風向きによって、ほんのり、イカっぽい匂いが漂ってくることが あった。 中学時代の私が住んでいた宇賀浦町や、高盛町、日の出町あたりは、水産加工業を営んで いる工場が多かったのではないかと思う。 |
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大体、中学校に登校する時、みがきニシンが ズラーっと干してある縄の下をくぐって行ったり する地域だったのである。 学校からは、 「そこは通ってはいけない。」 という禁止令が出ていたのだが、 そこは近道だったし、無理、ってものだった! ニシンが干されている縄の下をくぐりながら、 弁当のおかずにするというよりは、イタズラで 何本か失敬して登校したりするような連中が いるもんだから、朝の集会等で、何度も注意 を受けた。 |
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水産加工の工場の御曹司、お嬢様などがざらに居るわけだが、中1から中3くらいまで 3年間も中学の「制服」を着続けると、制服には、匂いがしみ付く。 時代がまだ裕福な時代ではなかったし、それと物を大切にする時代だったから、 中1の時、新品だった制服も、洗濯をされつつも、3年間着用され続けることになる。 大体、制服の洗濯なんて、夏休み中とか冬休み中とか、せいぜい学期に1回やっ たらいい方だろう。 洗って、匂いは取れても、また匂いがしみついていくのだ。 サラリーマン家庭だった私の制服には、どんな匂いがあったのかナ。 中学3年のある時、文化祭で「夕鶴」の上演が終わった後だったろうか…。 1年の時に好きだった「初恋の人」が思いがけず、私に話しかけてきた。 「夕鶴」の発表がとてもステキだったというような感想を話してくれたのだが、 話をしているほんの一瞬、私は、その人の制服に、函館の匂いを嗅ぎとっ ていた。 故郷・函館の匂い? いや…、微妙に悲しい函館の匂いだった。 彼女が、水産加工業の会社のお嬢様だったのを思い出していた。 |
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